『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

他部署の新人教育をみて

こんにちは。

最近、とある他部署の新人教育を

そばで見させていただく機会が増えました。

 
 

ちょっとその子はクセのある子で、

 

話してる内容がバラバラだったり、

質問しても、別の話になっちゃったり、

自分ができてない理由を、別のもののせいにしたり、

いろんなことがやりっぱなしで、なかなか完結しなかったり、

 

と、なかなかスゴいわけです。笑

 

 

正直、ぼくは何度か、イラッとしました笑

 

でも、その子に対して、

そこの部署の上司は、どう付き合っているのか

話しているのを聞きました。

 

 

「自分がやってることを、

 一度立ち止まって、考えらるように

 なったほうがいいと思ってる。

 

 あと、自分の考えも

 もっとまとまって、

 整理して話せるようになったら、

 いいと思ってる。

 

 けどね、

 

 それらが、全部が全部できるようになったら、

 逆に、その子がその子

 じゃなくなっちゃうんじゃないかな?

 とも思ってる。

 

 その子の天真爛漫(てんしんらんまん)な感じは、

 それらを身につけたら消えてしまうかもしれない。

 

 自然なその子の振る舞いを矯正するのも

 ひとつだけど、

 その振る舞いが許されるくらい

 周りの人に、徳を積むような振る舞いを

 もっとできるようになって、

 

 その子自身の良さがひきだされる

 関係性をつくっていけるようになったら

 と思ってる。」

 

 

その話を聞いて、衝撃的でした。

そんなふうに、新人教育のことを考えていたなんて……。

 

 

会社のルールに従わせたり、

その子の仕事で使えることだけ任せたり、

というのは、

(比較的)簡単だけど、

 

その子の良いところも、悪いところも、

互いに活きるようにする、って、

めっちゃ根気のいること。

 

 

その上司の方は、その子のクセと

ひとつひとつ向き合って、

ひとつひとつ紐解いて、

どうしたら、まわりと良い関係が築けるのか、

ひとつひとつ丁寧に向き合っておりました。

(だいぶ、苦戦してるようではありましたが笑)

 

 

その姿をみて、僕も、

目の前のひとと関わるとき、

 

うまくいってるところだけでなく、

コケちゃってるとき

ズレちゃってるとき

自分にとって予想外なときにも、

一歩踏みこんでいくことが、

もっと自分には、必要なのだと思いました。

 

 

高い感覚にあわせていきます!

 

 

今日はこのへんで。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

松井