『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

一念に従え。27歳の受験生

こんにちは。松井です。

今日は、塾生と食堂で話していて、
その時の気づきを書かせていただこうと思います。

 

その子は、いま27歳で、
大学受験をうけるために、塾に通っています。

うちの塾は、浪人してる子は多いものの、
27才は珍しい。

 

どんな経緯で、ここに来たのだろう?

と聞いてみると、

元々、医学部に受かっていたけど、

大学にはいってから、

単位が取れず、留年を繰り返し、

大学を辞めることになったそうです。

 

怠けていたというよりも、

医学部受験で、燃え尽き、

やる気がわかなくなってしまったそうです。

医学部の勉強量がエグすぎた、というのもある

と言っていました。

 

 

しかし、もうひとつやる気が出なかった理由を
話してくれました。

正直、これがでかいんだろうなー、というのも感じました。

 

それは、

「なんで医者になりたいのか分からなかったから」

ということ。

 

 

その子は、父親がお医者さんで、

将来大きくなったら、自分も医者になるものだと

思って育ったそうです。

 

小学校の将来の夢には、お医者さん。

10年後の自分の姿にも、お医者さん。

でも実は、お医者さんってどんな仕事かは知らない。

それでも、そうなるものだと思ってたそうです。

 

そして、高校生になり、医学部受験し、

合格したけど、

「医者になる」という目標はあれど、

医者への概念は、空虚なまま。

 

 

昔から、親に反抗したことや、

自分の意見を主張したことがなかったし、

 

親が望むから、医者になる。

そのくらいにしか思ってなかったそうです。

(それで、医学部受かってるので、すごいんですけどね。)

 

しかし、そんな状況に、心と体はついてゆかず、

大学生活はズタボロだったようです。

 

 

今年、彼がうちの塾にきたのは、

「志をもった」大学生活を送れるようになるため。

ただ親の意見をきくのではなく、

自分の意志で、自分の人生を歩む。

そのために、この塾を選んでくれたんやな、

というのを話して感じました。

 

27才にもなって、再受験。

親からは反対されたそうですが、

はじめて、自分の意見を伝えたそうです。

 

 

この話を聞いた帰り、

一緒に話をきいていた知人と、

「自分らしさって、

 レールを踏み外したところで

 出会ったものの中に

 あったりするよね。」

と話していました。

 

ホントに。

正しい道を進んでいたり、ひとの期待にそって進んでいれば、

大きな誤りって起こらない。

無難な道。

 

その話をきいて、

僕も、社会人3年目のときに、

誰にも相談せず、会社を辞めたときのことを

思い出しました。

もうあれから、5年くらい経つのか。

と、どこか懐かしく思いました。

 

 

「一念に従え」と、師匠からよく言われます。

 

初発の想いを大切にしろ。

一念でない、二念、三念で行動するな。

と。

 

この言葉について、

つい最近まで、

「(一念というのは
  正しい心・純粋な想いであるから、)

 一念で、行動しろ」

という意味だと思っていたのだけれど、

なにやら違うかもな、

と、今日の話を通して思うようになりました。

 

 

「一念でやった行動でしか、ひとは成長しない。」

これが、ホントのところなのかな、と。

 

一念でやったことが失敗したとき、

自分自身が打ち砕かれる。

自分を改めない限り、次はない。

 

しかし、二念・三念での行動って、

失敗しても、言い訳がたつ。

本心(一念)じゃないから、と。

 

 

困難や試練、目の前のことに、

本当の自分で立ち向かってこそ、

性根が糺(ただ)されるもののように思いました。

 

自分の人生を、自分の意志で生きる。

その決意なしでは、たいした成長はないのかもしれません。

 

 

では、

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

松井