熱田神宮:「くさなぎ広場」で令和の時代を紡ぐ1900年の歴史

こんにちは、松井です。

先日、初めて熱田神宮へ行ってきました!

熱田神宮は、NARUTOを連想させる神様が多いのもあり(アマテラスとか、スサノオとか、くさなぎの剣とか!)、
ずっと興味のあった神宮だったので。笑

結果、僕の期待を上回るオモシロさでした。

 

そんな僕が、その熱田神宮を訪れて、
すげーーー異質だな!!と思ったのは、

「くさなぎ広場」という、境内に建てられたカフェ風の建物、でした。

これ、室町時代チックな庭園のすぐそばにあるんですけど、

古き良き日本の文化である神社のなかに、
カフェがあるって普通に考えて、変じゃないですか?

 

とはいえ、その答えは、

熱田神宮の1900年の歴史での
「熱田神宮の在り方」のなかにありました。

今回はそんな話をしていきます。

神社や、街の建物、会社の資料などへの見方が変わるでしょう。

「くさなぎ広場」が建てられたのは、めっちゃ最近。

まずは、
「くさなぎ広場」について、簡単に紹介すると、

「くさなぎ広場」が建てられたのは、令和3年7月。

元々庭園があった場所へ
参拝者の憩い・やすらぎの場として、建設されました。

めっちゃ最近ですね!

 

そんな「くさなぎ広場」は、室町時代チックな庭園のなかにあり、
近代的なおしゃんなカフェや、テラスが池の周りを囲むように建設されています。

 

で。

僕はこれをはじめてみた時、
(さっきも言いましたが、)なんかおかしくない?と思ったんですよね。

だって、
1900年間受け継がれてきた伝統的な神社という場に、
近代的なおしゃれなカフェをたてるって、変じゃないですか?

ふつう、伝統的な木造建築をたてるんじゃないの?

と、僕は思いました。

 

ということで、その疑問を解消すべく、
僕は、その場でスマホを取り出し、ググりました。

残念ながら、
Google先生は答えを教えてくれませんでしたが、
僕の中で、1つの答えは、出ました。

それは、

熱田神宮が1900年の歴史の中で守ってきたのは、
「建物」ではなく「想い」なのだろう

ということです。

 

調べてわかったのは、

熱田神宮の1900年の歴史は
「時代との調和の歴史」

であるということでした。

時代によって作られ、受け継がれてきた熱田神宮

熱田神宮の歴史をざっくりと遡ると、

古墳時代には、豪族の墓がつくられ、
平安時代には、和歌や琵琶を楽しむ場となり、
戦国時代には、神宮を守る強固な塀(へい)が織田信長によって作られました。

そして、大正時代の第二次世界大戦では、
熱田神宮は、空襲により、ほとんどが焼かれてしまいましたが、

戦後、多くの人に復興が望まれ、
昭和の時代、1955年に、いまの神殿が復興されています。

そして、令和の時代である現代、
参拝者の憩いの場として、カフェがつくられたということです。

 

言われてみれば、確かに、
熱田神宮の境内にある建物は、1つ1つの建てられた時代がバラバラです。

 

例えば、

くさなぎ広場の近くにある「二十五丁橋」という石橋は、
室町時代に、足利義政によって建てられたものですし、

さきほど少しお話しした、織田信長が建てた塀
「信長塀(のぶながべい)」は、戦国時代に建てられたものです。

 

ちなみに、
この「信長塀(のぶながべい)」は、

桶狭間の戦いのまえに、
信長が、熱田神宮で勝利祈願し、
その結果、無事にその戦いで勝利したため、

信長から熱田神宮へ贈られたそうです。

 

織田信長って、六大天魔王って呼ばれていたくらい
冷酷で残酷で、鬼!なイメージがあるので、そんな信長が塀を贈ったなんて意外です。

戦国時代は、国同士で、争い、殺し合いをしていて
皇族への(熱田神宮への)信仰が軽視されていくのも仕方ないような時代ですからね。

しかし、そんな混沌とした時代であっても、

どんな戦乱の世となり、どんな敵がきたとしても、
「民の信仰の場」である熱田神宮を守れるようにと、
あの魔王 信長が、強固な塀を建てたのだと思うと、

どこか、ぐっっとくるものがあります。

そして、その魔王の想いは、
安土桃山時代には、豊臣秀吉が、
江戸時代には、徳川家康が受け継いでいくこととなるのも、胸熱です。

 

話を戻すと、

熱田神宮は、各時代を経て、

熱田の地の民の
憩いの場や、祈りの場として
守られ、増築され、受け継がれてきたんですよね。

そして、令和の時代でも、

現代人の憩いの場として、
「くさなぎ広場」がつくられたのです。

古墳でも、和歌を読む場でも、塀でもなく、令和という時代にあわせ「カフェ」がつくられたのです。

熱田神宮が、令和の時代もひとびとの憩いの場となり、
また次の世代にも、受け継がれていくために。

 

いやぁーー、すごいっすね! 熱田神宮!

この「くさなぎ広場」からは、

「伝統を受け継ぎ、ただ後世に伝えるだけでなく、
受け継いだものをより善くして、後世に伝えていきたい」

というような、強いこだわりを感じて、今回、かなり好きになりました。笑

 

調べ終わって、スマホから顔をあげて、周りの景色を見た時、

心なしか、目にうつる全ての建物・草木が輝いて見えたくらいです。

熱田神宮のこだわりを、僕らの生活に取り入れる

この熱田神宮のこだわり方は、僕の仕事や勉強でも取り入れないとな!
と思いました。

というのも、僕は
(例えば、コピーライティングの)勉強をしていると、

「とにかく知識、テクニックを覚えよう!」とか
「言われたことをそのまま書いてみよう!」とか

思い、自分の頭で考えず、
ただ知識を頭に入れようとしてしまう時があります。

ただただ知識を受け取るだけの、知識偏重型ですね。

 

もちろん、それもそれで大事なのですが、
知識を身につける上で、本当に大事なのは、

知識を頭に入れるだけでなく、

頭に入れた知識を、実際に実践してみて、
その実践をもとに学んだ知識をさらに深い知識とすること

なのだと、僕は思います。

 

「知をもって体と成し、体をもって知と成す。」
とでもいうのでしょうか。

頭で学んだ知識も、体を通して実践してみると、
また別の新しい気づきがあったり、
全然、知識が定着していない部分が明らかになったりします。

なので、その実践で学んだことを、
また体を通して、知識へ(頭へ)フィードバックしていくことが
大切だと思っています。

だから、知識を体得することは、「”身(体)”につく」と表現されるのです。

 

そして、それは、会社での仕事も同じで、

先輩や上司から教わった
仕事のやり方や、会社のやり方を
ただただ知識として、受け取るだけでなく、

さらに、自分のなかで
その知識を育てていくことが大切だと思います。

そして、その創意工夫が仕事を楽しくしてくれます。

 

その会社のやり方というのは、

いままで代々の先輩方が積み上げてきた
叡智の結晶であるとともに、

これから自分の後輩たちに
受け継がれていくものでもあるわけですから、

より良くして、残していくべきだと思うんですよね。

 

熱田神宮しかり、コピーライティングの叡智しかり、
会社のやり方しかり、

いま目の前にあるものは、はじめから完成されていたものではなく、
先代たちの積み重ねのおかげで存在している

と思うと、
また、いままでとは違った見え方になってくる、と思いませんか?

目の前の事象の、背景にも目を向けてみる。

すると、また面白いものが見えますよ!

 

以上! 初・熱田神宮で学んだことでした。

 

では、今日はこのへんで。

ありがとうございました!