『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

AIによる知識の凝縮

ふと、コーヒーを淹れてるときに
AIについて思ったのですが、

いまの時代、AIによって様々なものが
〝個人で〟生み出されるようになっていっています。

これはこの先の未来もずっと加速するでしょう。

 

そこでおきるのは、情報の凝縮。

これまでの時代、
分業が進み、知識は分散され、点在化していたが、
それらが、再びひとつに再集結するのかなあ、、と。

 

では、そこでいったい何が生まれるのか。

ひとつは、
専門家の凄さを、その道を地に足つけて歩んできたひとの凄さを
実感を伴ってすることになるんじゃないかな、と思います。

単純にAIをいじるだけでは到達できないところにいるひとの凄さを。

 

ある程度のことは、(AIを使えば)自分もできる。

そしてそこでのある種の苦労も知っている。

それを知っていることで、
それを乗り越えたひと、より精通しているひと(専門家)への
リスペクトは、より高まっていくのではないか?

 

仕事やクリエイティブなことについて、
全域的なことを
(AIを使い)自分ひとりでできるようになるからこそ、

その業種のひと・専門家へのリスペクトが高まり、
そして、個々の繋がりが濃くなっていくのではないか?

 

このAIの発展が、そんな影響になればよいな

・・・と、あたたかなコーヒーを飲みながら思いました。