『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に老彭に比す』

論語より

深い息と、出し切ること。

こんにちは、松井です。

一昨日は、高速読書と深い呼吸という記事を書きました。

 

読み返してみると、

「深い呼吸を意識して過ごすことが大切」
と言っておきながら、

この記事、呼吸が浅いように思いました笑

修行あるのみ、です😆

 

ところで、

昨日、ワインバーに立たせていただいていたのですが、

そこに、ヨガのインストラクターの方が来られていて、

そこでも「呼吸のこと」を聞けました。

 

なんでも、現代人は、体幹が弱まっているそう。

デスクワークが増えて、歩くことも減っているので、

体を支える筋肉が減ってしまっている(そもそも鍛わっていない?)。

 

そして、体幹が弱いゆえに、

「息を出しることができず、」呼吸が浅くなる。

と。

 

「深い呼吸をすることは、まずは深く息を吐くことから始まる」

ということです。

 

何かを身につけようとする時、

取り入れることばかりを意識して、

アウトプットが抜けてしまうことがあります。

 

僕も最近は、意識してできるだけアウトプットしているのですが、

学んだことを、実践しない・アウトプットしない、

っていうのは、成長した気になっていても、本質的には変わっていない。

それは、自分が学んだことを実践しきった(吐き出しきった)時に

本当の学び(深い呼吸)があるから、のように思います。

 

たくさん勉強して、知識を入れてるだけ時、って、
どこか、自分に余裕があります。

ひとの話や、誰かが悩んでいる話をきいて、

「ああ、そんな話ね。〇〇したら簡単に解決じゃん。」

などと思ってはいるのに、

口にしない。
心のどこかで、ちょっと相手を見下している。

そんなことを、僕はよくしてしまってました。(性格悪いですね。)

 

でも、実際に口にしてみて分かるのは、

「そんなに簡単に解決しない」

ということ。

 

そんなに甘くない。

悔しい。

どうしたらいいんだ。。!

そう思った時に、

質問に行ったり、勉強したり、

目の前のひとと向き合ったりして、

なんとかしよう! できることをなんでもしよう!

と、必死になっている時に、本当の学びになる。

 

(自分ができることを)やりきってない時って、

周りにあるものを、受け取りきれていない、ようにも思います。

 

出し切っているからこそ、受け取れる。

出し切っているからこそ、素直に感謝できる。

 

そういうものがあるように思います。

 

 

と、今回も再び「呼吸」の話。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

松井