『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

朝、寝すぎた時に自分を責めてしまう

「朝、寝すぎた時に自分を責めてしまう」

といったことを食堂で、塾生から相談を受けていました。

 

ウチの大学受験塾は、他県から泊まり込みで
きている子も多く(むしろ、それがほとんど)、

生活リズムの管理も、自分でしないといけません。

 

塾では、一日の自分がやった勉強内容を
塾生手帳に

「10:00 ~ 11:00 白チャート p.⚪︎⚪︎ ~ p.⚪︎⚪︎」

といった具合で書いているそうなのですが、

その子は、寝坊した時、

午前の欄が、真っ白になるのが嫌で、
塾生手帳を書く気が失せてしまうそうです。

 

その子の言葉をそのまま使うのであれば、

「塾生手帳を破り捨てたくなる」そうです。

 

 

この時、話したのは、

「(自分の中での)理想的な自分と、現実の自分
 の差を、どう捉えるか?」

ということです。

 

その子の中では、朝からバリバリに勉強して
手帳にしっかりとやったことを書いている自分、
というのが理想的。(少なくとも、塾生手帳という観点では)

でも、実際、寝坊して書けない現実の自分がいる。

それをどう考えるか?

 

・できてない自分を責めるか、

・理想的な自分になるためにやるべきことが明確になったと思うか、

同じ現実でも、どう捉えるかで全然ちがいます。

 

昨日の記事にもちょっと書きましたが、

大逆転勉強法では、
1つの教材を徹底的に100%できるようになるまで仕上げます。

ある程度、ではなく、100%。

 

99%までは多くのひとがいける。
100%までのいくのが重要。

なのだと、言います。

 

最後の1%、

そこを越えるには、

自分の癖、自分の好み、自分の限界を

越えなくては辿り着けない。

 

99%というのは、
風船に小さな穴が空いているようなもので、

どれだけ、知識やエネルギーを溜めていても、

そこから漏れていってしまう。

自分の負けパターンにハマって、自分を責めて、エネルギーダウン。

それではいつまで経っても、エネルギーは溜まりません。

 

 

塾生手帳を書くことが、受験のゴールではありませんが、

そこへ向き合っていく中で、

自分と向き合い、大学に入ってから・社会に出てからの

大きな糧になっていくと、僕は思います。