『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

そこに、コーヒーがあるだけ。

NetFlixで話題のドラマ「グラスハート」をみていて、

「音楽は究極、音がそこにあるだけ」

という言葉が心に残りました。

 

 

音楽の天才とバンドを組むことになって、

その天才の音楽を
自分の音が壊さない自信はあるのか?

と、主人公が問われたときに、

自信はない、でも、、

と、出てきた言葉が、

「音楽は究極、音がそこにあるだけだから!」。

 
 

才能、肩書、メンツ、評価、立場、性別、

いろんな尺度で、
ひとから見られるけれど、

音楽の場にたってしまったら、

そこにあるのは、音だけ。

 
 
 

ちょうど僕自身、最近、
カフェでコーヒーを淹れさせていただくことになって、

プログラマーだし、

飲食のアルバイト経験もないし、

と、

「え、ぼくでいいの?!」

と思うことはあったけど

 

「たったらいいよ」

と言っていただき、

コーヒー修行をつけていただいて、

 

今週からオープンとなりました。

 

 

ことがトントン拍子に進んで、
ついていけてなかったこともあったけど、

グラスハートで、

「音楽は究極、音がそこにあるだけ」

と聞いて、ひとつすっきりしました。

 
 
 

カフェで言い換えるなら、

「カフェは究極、一杯のコーヒーがそこにあるだけ」

とでも言うのでしょうか。

 
 

カフェに立たせていただく上で、

 

自分でいいのかな、とか、

お客さんにどう思われるのかな、とか、

美味しく淹れられるかな、とか、

ちゃんとご縁を結べるかな、とか、

 

色々と思うことはあるけれど、

 

自分ができることって、

一杯一杯のコーヒーを丁寧に
愛念をこめて淹れること、のみ。

 
 

美味しい豆を仕入れてくださっていて、

ひと粒ひと粒を大切にした

こだわりの焙煎をしてくださり、

その豆をつかった美味しいレシピがあって、

 

社長がデザインして、

新田さんが建ててくださり、

先生が用意してくださった本に囲まれた

ブックカフェで、

 

管理人たちや、お手伝いの方々と

日々、守っているこの場で、

コーヒーを提供させていただける。

 

 

丁寧にその場を感じ、コーヒーを淹れさせていただく。

 

あとは自然と、〝場〟が導いてくれるから、

捧げるように淹れよう、と思いました。

 
 

一杯のコーヒーを淹れるだけ。

シンプルだからこそ、奥深い。

 

日々、修行ですねぇ。

 
 
 

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