今日は、朝から傘を直してました。
最近は、傘もすぐにコンビニで買えるので
直してまで使うことも少なくなってきたように思います。
骨が曲がっていたので、まっすぐに直して、
金具の根本が折れてるのを
まっすぐに直して、
うまくまっすぐにならないところは、
まあ仕方ないから、このまま使うことにしました。
ちょうど昨日、食堂のスタッフと話していて、
「最近、ものが壊れたら、すぐに取り替えてしまう。
冷蔵庫でも、洗濯機でも、壊れたら
パーツを、ユニット交換するやろ。
わざわざ1つずつ直したりせえへん。
昔は、基盤とかもはんだごてで直して
くれてた。
いまの修理屋さんは、技術力下がってると思うで。」
と教えていただきました。
そんな話もあったので、今朝、
壊れた傘を同僚がもってきたときに、
直してみようか、と思った次第です。
やってみて思ったのは、
壊れた傘も、直して使えるようになると
その傘への愛着がわく、ということ。
直されたところが包帯みたいで、
ちょっとかわいくみえますし、
次使うのが楽しみになりました。
直すのに手間がかかった分だけ、
それも思い出になって、愛着になっていくんだなぁ、と。
話は変わりますが、
先日、イベントの参加者さんが
突然泣きだしてしまい、
その場にいた他の参加者さん含めて、
みんなで話を聞いたり、励ましたりすることがありました。
結構、長丁場で、2時間くらい話したんですけど、
最終的には、
「わたし、がんばってきます!!」
と、元気になって帰ってゆかれた、
ということがありました。
その話し合い(励まし合い?)は、
2時間ほど続いて、結構ぐったりしたのですが、
その話し合いを通して、
まわりの参加者さんひとりひとりの、
ひととなりを感じることができたし、
それぞれの良い面が引き出されていくのを
感じました。
正直、落ちこんだひとを元気にする、
って、めちゃくちゃ大変。
もちろん、ひとりじゃできなかったと
思います。
でも、その時間を通して、
みんなとの仲が深まったことも、同時に感じました。
うまくいくこと、役に立つこと、スマートなこと。
ばかりでなく、
こういった泥臭いことのほうが、
ひととひととのご縁は深まるのかもしれません。
AIの発達で、開発の時間が短縮されたところはあると思います。
その分、ひととの関わりの時間を増えていったらな、とも思います。
例えば、
・最近のマイブームを持ち寄ったり、
・勉強したことをシェアしたり、
・目標や理想を語りあったり、
そういった無目的な時間。
コンピュータは目的ありきで動きますが、
人間はそういった無目的な時間、
そういった ほころびのある時間が、
次の仕事への活力になるように思ってます。
では、今日はこのへんで。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
ps.
実はさっきの傘、1回目直したときは、
すぐに糸が切れてしまって、
今朝、2回修理してます。
このあと、糸の長さを倍にして直してます。
ではでは。
松井