こんにちは、松井です。
昨日は、プログラミングの教育支援として
勉強会の講師をしてきました。
(4人での勉強会なので、講師というのは大げさですが)
反省の多い、勉強会でした。
Aras Innovatorというプラットフォームの
開発方法の解説をお願いされていたのですが、
まさか、WEBアプリの仕組みから話すことになるとは、、。
コードの書き方などの実装方法をメインに
説明をしようと思っていたのですが、
勉強会の参加者のかたが、思っていたよりも、
Web開発をしたことない方だったようで、
そもそも、サーバーサイド/クライアントサイドの意味が伝わらず、
そこのWebアプリの仕組みからの説明となりました。
しかし、いざWebアプリの仕組みを言語化しようとすると、
どう説明したらいいのか、出てこず、
クライアントは、ブラウザで、
サーバーは、Aras Innovatorで、、など、わけわからぬ説明をしてしまい、
結果、先輩に入っていただき、代わりに説明していただきましたm(_ _)m
コードの書き方や、実装方法についてなど、
比較的表面的なことは話せても、
Webアプリがどのように動いているのか、などの
根本的な話となると、
こうも、言語化できてないのか、、と少し驚きました。
最近、先生が、大学生から化学や物理の質問を受けている際に、
「“コンデンザー”などの専門用語を、
ちゃんと自分の言葉で説明できるようになるといいね。」
とおっしゃっていたのを思い出しました。
これは、プログラミングでも一緒だな、と思いました。
また、別の話になりますが、
先日、先輩がオランダ人の方から
「日本人は、八百万(やおよろず)の神というが、
それはいったいどういう感覚なのか?」
という質問を受けた。という話を聞きました。
キリスト教徒にとって、神は、唯一絶対のものなので、
日本人の神様がたくさんいるって、どういう感覚なのか、
聞かれたそうです。
先輩は、片言の英語で、
・日本人は、万物に神が宿っていると考えること
・ひともまた、神様の魂の一部を分けられて、生まれること
・(キリスト教的な)神が外にいる感覚ではなく、
神や仏は、自分の中にいること
・だからこそ、目の前のひとの
良い部分(神的な部分)をみて、
そのひとと接することを大切にすること
ということを説明したそうです。
その話を聞いて、
当たり前に思っていることでも、
自分、ちゃんと言語化できてないな、ということを感じました。
それと同時に、
普段、何気なく話していて、
話が伝わるのは、共通認識を持っていてくる相手が
いてくれるおかげなんだな、ということも感じました。
自分が勉強して、自分で納得して終わりではなく、
それをひとに伝えられるよう、僕も、頑張りたいと思いました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
松井