今日は、空き時間に西岡常一著「木に学べ」を読んでいました。
今日出ていたのは、宮大工の11つの口伝。
『百工あれば、百念あり』
今日は、まさにこの言葉が耳に残りました。
今日、開発チーム内で、コードレビューをしていたのですが、
ん?この実装はどうなんだ?
というものがありました。
普段なら、「これじゃダメなんで、直して。」と一蹴するような
ことをいって、
その人から反感をもらい、プチ喧嘩になる。なんてことが度々ありました。
しかし、これではいかん、と、
百工あれば、百念あり。プログラマーも100人いたら、
100通りの考え方がある。
自分では間違ってると思っていても、(で、たぶん間違ってる)
少なくとも、そのひとの考えでは正解のなのだから、
まずは、その一念をきこう。
と思い、「ここは、なんでこういう実装なんですか?」と
ひとつひとつ聞いていきました。
聞いてみると、
・この実装の方が、変更箇所が少なく済むこと
・データ移行の難易度・リスクが減ること
・〇〇という前提であれば、わざわざ別項目を増やす必要がないこと
など、答えが返ってきました。
なるほど、そういうふうに考えているんだなあ、、
と、自分とは別視点での考えていることを実感しました。
そして、このように相手が考えていることを知らずに、
「(実装やデータ移行の手間が増えても)専用の項目を増やして、
シンプルにわかりやすい作りにしてほしい」
と伝えても、たぶんまた口論が平行線を辿っていたかもな、、と思いました。
これらを踏まえて、
・いまの開発範囲は、ある程度スケジュールに余裕があるから、
実装に時間をあてられること。
・今後、このシステムを使うひとにとって
わかりやすくシンプルな作りになるのなら、それは必要な手間なので、
削らず、やりたいこと。
・〇〇という前提、という話が何度かでたけど、
その前提を理解した状態で、いまはこのコードをみれるけど、
しばらくしたら、たぶん忘れてしまうくない?ということ。
・そして、その前提はこの先、崩れないの? ということ。
その前提があることで、今後の開発の自由度が下がらないか? ということ。
という話をしました。
どう反応されるかな。。。と不安でしたが、
納得してもらえ、コード修正をしていく流れになりました。
宮大工の口伝に
『ひとつにする器量のない者は、自分の不徳を知って、棟梁の座を去れ』
というものがあります。
百人の職人の心をひとつにまとめれんものは、
自分の不徳のいたすところやと思って、つつしんで自分の座を去れ
ということです。
開発チームのリーダーも、棟梁のようなもの。
開発メンバーの心をひとつにできる器量がないのなら、
自分の徳・器が足りてません。
リーダーという立場を使って、こちらの主張・正論を押しつけることも
できるかもしれないけれど、
心をひとつにするためには、相手の心を知らなければできません。
リーダーというのは責任重大です。
自分の一声で、チームの方向性が変わってしまうのだから。
それ相応の知性と感性と徳分がいります。
僕が、個人事業主になったのは、
そういうリーダーのようなことをやりたくなかったから。
自分の一声に、ひとを巻き込みたくなかったから。
というのが、心のどこかにありました。
僕はスーパーエンジニアになりたかった3 にも少し書きましたが、
「自分は、みんなを勝たせられないリーダーなんだ」
というセルフイメージが強かったのだと思います。
だから、すべて自己責任でできる(と思っていた)個人事業主という道を選びました。
でもいま、(最近は特に、)
もっとみんなと一緒に、目標を目指したい。という思いに変わってきています。
大きな失敗をした。 多くの後悔をしてきた。 たくさん自分を責めてきた。
だからこそ、それを次に活かして進めるように思っています。
まだ逃げたい自分もいるけれど、立ち向かっていきます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
松井