『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に老彭に比す』

論語より

コンクリートは30年で朽ちる。2000年先まで残る仕事をしよう

こんにちは。松井です。

今日、食堂にゆにゾンさんがきていて、
「Xをはじめたのだけれど、プロフィールの変更ができない」

と相談をされました。

スマホの進化は目まぐるしいですね。

たぶん原因は、使ってるiPhoneが古く、
アプリのサポートが切れちゃってることにあるっぽく、

いろいろ試しましたが断念しました。

 

スマホもパソコンも、
2、3年経つと、すぐ倍くらいの性能のものがでてくる。

同じものを5年・10年・15年と
使うことなんてできません。

ほんとに、回転周期の早い時代だなぁ、と思います。

(ホントは、愛着あるものをずっと使いたいのに。)

 

そんな話をしながら、
みんなで食堂で夜ごはんを食べていたのですが

その時に、思い出したのが、

「最後の宮大工」と言われる西岡常一(つねかず)さんの

「コンクリートの耐久年数は、30年。
 鉄は、100年。ヒノキは、2000年。」

という話です。

 

西岡常一が、法隆寺や薬師寺の修繕を任された時、

学者たちから、

「寺の補強には鉄を使え」「コンクリートを使え」

と言われたそうです。

しかし、法隆寺も、薬師寺も、
ヒノキで1300年保ってきている。

鉄が強い、コンクリートが強いというが、
その事実をどう思っているのか?

 

「今の人は、耐久年数というのを考えませんさかい。

何百年もたそう、なんて考えない。

今さえ検査通して、明日コケてもええっちゅうことですから。」

と、西岡は言います。

 

宮大工の教えのひとつに、

「千年かけて育った木は、(建物として)千年もたせなあかん。」

というものがあります。

そうしていくうちに、次の木が育ち、それが次の建物へと続いていく、

というのです。

 

いま、自分の家を建てると考えた時に、

自分が死ぬまでの間、あと50年くらいの間、
問題なく住めたらいいな、

というくらいしか思っていなかったし、

その家が、孫、ひ孫、、へと受け継がれていく、
なんてことを

想像したこともありませんでした。

 

仕事でも、同じですね。

いま作ることを、納期に間に合わすことを
優先して、

その作ったシステムは、
この先、5年・10年と使われていくもの、

ということを感じず、考えず、
実装してしまうことがあります。

 

・テストパターンをはしょったり、

・設計書に図や表を書いたほうが分かりやすいのに
 書かなかったり、

・コードに説明が必要なところにコメントがない

・バリデーションチェックが業務的な問題がある
 ところへのケアできていない

とかね ^_^;

 

西岡は、

「時間をかけてもいいから、いい仕事をしろ」

ということを言っています。

いい仕事を残す。

それは、西岡自身が法隆寺や薬師寺をみて、
飛鳥時代の大工の建築技法を学んだように、

いい仕事というのは、
時間や場所、空間を超えて、伝播(でんぱ)していくんだよ、

と言っているようにも思いました。

 

もちろん、資本主義であり、雇用契約である以上
無限に時間が使えるわけではないので、
そこに制限はあります。

でも、そのなかでも
「いい仕事をしよう」と一本掴んで仕事をする。

それはできるのかな、と思いました。

 

当然ですが、

わたしたちが生きてるこの世界は、

自分が死んだあと(それは、40年後、50年後、60年後かもしれないけれど)も、

続いていく。

そして、自分がやったこと、残したものって、

この世界に、残り続けるんだな、、、というのを

西岡さんの本を読んで、考えさせられました。

 

そして、西岡さんはそこにまさに挑戦しているのだな、と。

何百年、何千年先の未来にも、神社仏閣が残り続けるように。

 

飛鳥時代の建築技術の高さ、大工の凄さについて、
西岡さんは、本当に敬意をもっているし、尊敬されているんだな、

というのを随所に感じました。

今までの先人たちが
ここまで1300年間、残してきてくれたものを、
自分もまた未来へ残していく。伝えていく。

そんなことに挑戦している人物が
実在していることに、感動です。

そして、その生き様がなによりも、かっこいい。

 

 

Xのアプリの話から、西岡さんの話をしてました。

こんな物の移り変わりが早い現代だからこそ、

ずっと先まで残り続ける、そんな仕事をしていきたい、と思いました。

 

1000年先にも、のこる仕事をする。

2000年先にも、のこるような濃く美しい日々をすごす。

 

いい響きじゃないですか。

そんな仕事が、法隆寺をいまに伝え、

孔子やイエス・キリストの弟子たちとの日々が、

論語や聖書となって、いまに伝わる。

1000年先、2000年先に何かをのこすって、
不可能ではないんです。

 

では。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

PS. 西岡常一さんのことが書かれている本はこちら。

おすすめです!

▼木に学べ
▼木のいのち木のこころ