僕の夕飯はチャナチャトパテ。

こんにちはー。いかがお過ごしでしょうか。

ひでです。

昨日、仕事帰りにネパール料理店で、
チャナチャトパテとスクティーを食べました。

で、おもしろい発見があったので共有します。

題して、

「ネパール人と日本人で分かる、貼り紙効果」

です。

 

ちなみに、チャナチャトパテとスクティー。

聞いたことない料理だというひとも多いと思いますけど、
僕も昨日はじめて聞きました。笑

ネパール料理って言ったら、ナンが最も有名だし、
僕自身、いつもはナンを食べてます。

昨日は謎のチャレンジデイです。

きっと日本人でチャナチャトパテを食べてるひとは少ないでしょう。(知らんけど)

知らない料理を食べるのって怖いですけど、
たまには新しいモノ食べてみよって、時折僕はやってます。

僕の経験上、5回に1回くらいは新しい発見があります。

で今回は、発見パターンでした。

 

はじめに、チャナチャトパテは、
ネパールの麺を砕いたものに野菜やスパイスを和えた料理(らしい)です。

チャナチャトパテは、

ネパールでは、
夕飯として食べたり、
おやつとして食べたり、
お酒のおつまみとして食べたりすると、

店員さんが教えてくれました。

「え、なにその万能料理(笑)」って感じです。

 

でも確かに食べてみた感じ、
おやつと夕飯の間みたいな感じはありました。

日本の駄菓子でいうブタメン的な?

かなりスパイスが効いているので、
口の中、ヒリヒリしますけど。

ネパール人は、元々移住民族なんで、
食料の保存が効くようにスパイスの文化が発展したと
どこかで聞いたことがあります。

「こんだけ辛けりゃそりゃまあ、食料も保存もされるわ!!!」

っていう辛さです(美味しい感じの辛さではあります)笑

 

ちなみに、現地の若い子に人気な料理らしいです。

そして、チャナチャトパテを食べはじめてわかった、
気づきとしては、

チャナチャトパテを食べてると、
店員さんやお店に来ているネパールの方と仲良くなります。

心の距離がちかくなるというか。

このお店は、
いままでも何度か来たことがあったんですけど、

今回はお水を注ぎながら、

「ダイジョブ?辛クナイ?」
と店員さんに話しかけられたり、

お店にきたネパールの方に

「コンバンワー!」
と挨拶されたりしました。

いままで一度も話しかけられたことはなかったので、
けっこうビックリです。

そこから少し話が盛り上がって、

先ほど話したような、

「チャナチャトパテは現地の若い子にも人気」という
話などをいろいろ聞かせてもらいました。

ネパールの話は、新鮮で面白かったです。

やはり、ネパールの方からすると、

ネパール独自の料理を食べている=同族意識、親近感

みたいのが湧くのでしょうか。

 

でも確かに僕ら日本人からしても、
海外のひとが、納豆や梅干しを食べていたら、
かなり親近感湧きます。

そんな感じなんですかね。

「同じ窯の飯を食べている仲」とか言いますし。

ネパールでは、
「同じタンドールのナンを食べている仲」
とでもいうのでしょうか。
(タンドールは、ナンを焼くのに使う粘土性の壺釜です)

 

 「同じ窯の飯」というと、
先週に「千と千尋の神隠し」をみていたのですが、
これに似た描写がありました。

千尋とハクがはじめて出会ったシーンです。

と、その話をする前に、
さきに「千と千尋の神隠し」を知らない(覚えてない)ひとのために
カンタンにあらすじを話しますね。

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トンネルを抜けると、そこは神の国でした。

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両親の都合での引っ越しの途中、
千尋たちは、神の国に迷い込みます。

そしてその神の国で、
なんと、両親が豚にされてしまいます。

いままで、両親に頼りっきりだった千尋。

しかし、頼りの両親はもういない。

「自分の力で、両親を救うしかない。」

そう決めた千尋は、
ゆばーばのもとで「千」として働くことになります。

ゆばーばのもとで働くときには、
自分の名前は奪われ、仮の名前で呼ばれることになります。

そして両親を救うため、

千尋は、自分の力で前に進み、
様々な困難を乗り越えていきます。

自分の足で前に進み、
オクサレ様、カオナシ、ぜにーば、ゆばーばとの
困難を乗り越えていく中で、

本当に大事にしないといけないモノに、
千尋が気づいていく物語です。

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と、こんな感じです

そして、
千尋とハクがはじめて出会ったのは、

両親が豚にされてしまったあと
千尋はパニックになり、
元きたトンネルに逃げようとしたときでした。

逃げようとするけど、
川の水が海のように溢れ
トンネルにはたどり着けません。

そこで、絶望した千尋は
「これは夢だ!」「消えろ!」と言い聞かせます。

このとき、彼女の身体が透け始めました。

そこでハクは、
『この世界の物を食べなければ消えてしまう』
といい、赤い木の実のようなものを千尋に食べさせます。

すると、透けていっていた千尋の身体が
元に戻ります。

 

これは、神の世界の食べ物を食べることで、

その世界の一員(その世界の一部)になれたから、
消えなくてもすんだ、

という発想です。

つまり、僕はネパール料理を食べて、
ネパールの世界の一部になれた、ってことです。

(千尋が消えそうになっていたのは、
 千尋自身が「消えてしまいたい」と願ったから、
 という考察もありますが、今回はこれで。) 

 

そして、
ネパールの世界の一部になってみると、
気づきもあります。

ネパール人と、日本人、
店員と、お客っていう肩書に
囚われていたことに気づかされました。

店員さんから
ネパールの話を聞いたり、
最近のUberEatsでよく売れてる料理の話を聞いたりしていると、
店員さんへ親しみがわきます。

店員とお客といえど、ひととひと。
勝手に壁を作ってたなー、と反省しました。

 

肩書というのは、貼り紙に似てます。

 

僕は勝手に
「店員」という貼り紙をはって、
そのひとをみていました。

貼り紙をはって、ひとをみると、
どこか無機質なモノのようにみえます。

千と千尋の神隠していったら、
「千尋(そのひと自体)」としてではなく、
「千(そのひとの肩書)」でみてしまっていました。

もちろん
僕自身にも、貼り紙がはられることもあります。

特に、会社員だったときが分かりやすいですね。

僕はいまフリーランスとして個人で働いていますけど、
会社にいたころは、

「○○社のエンジニア」という貼り紙をはられて

働いていました。

どこの会社行くにも、
「株式会社○○社のひでです。」というふうに名乗り、
名刺を交換していましたし。

きっと名刺を渡した相手の方も、
僕に「○○社のひと」という貼り紙をつけて、僕を見ていたと思います。

貼り紙、貼り紙と、
なんだか悪いモノみたいな言い回しをしていますが、

その貼り紙は、
自分を覆い隠す代わりに、
自分を守ってくれている(ように感じる)存在でもありました。

その貼り紙は、
給料もくれますし、社会的保証もくれるので。

その貼り紙のなかにいるときには、安心です。

しかしその反面、
貼り紙に守ってもらえていることに安心して、
貼り紙に隠れることに執着して、

「自分」を見失ってはいけないと、僕は思っています。

ゆばーばに名前を奪われ、
「千」として働いていく中で、
「千尋」という
本来の自分を忘れてしまいそうになったように。

特に、フリーランスになってからは、

よくそのようなことを思います。

 

フリーランスという世界に
飛び込んだからこそ、
僕はこの味を知れたと思っているし、

ネパール料理屋に
飛び込んだからこそ、
チャナチャトパテの味を知れました。

知らない料理を食べてみると、
いろいろ気づきがあるので、おすすめです。