『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

名言一覧

独りぼっちでも社会の中で。

独りぼっちでも社会の中の自分であることには
変わりはない。その社会は矛盾だらけなのだから、
その中に生きる以上は、
矛盾の中に自分を徹する以外にないじゃないか。

そのために社会に入れられず、
不幸な目にあったとしても、
それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ。
純粋に生きるための不幸こそ、
ほんとうの生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。

何万年と受け継がれてきて、僕が生まれてきたように。

一瞬たりとも同じ僕はいない それだけは忘れずに生きていたい
その一人一人が繋いで来た たすきを今僕は肩にかけた

昨日とは違う今日望んでも 向こうから 同じ色の明日が来ても
否が応でも 僕は違う 僕になれる

あの日叫んだ僕の声だって 忘れてなんかいやしないよ
あの日誓った再会もいつか 果たせるまで繋いでくよ

何万年と受け継がれてきて 僕が生まれてきたように
必ず僕も未来の自分に今までの僕 繋いでくよ

過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ

子曰く、過ちてはすなわち改むるに憚る(はばかる)ことなかれと。

天下とともに潔く

孔子はこうおっしゃった。

「一身を潔く(きよく)するということだけなら、
 たいしてむずかしいことではない。
 むずかしいのは、天下とともに潔くなることじゃ。」

受け取ることで起動する利他

私たちは、他者の行為や言葉を受け取ることで、相手を利他の主体に押し上げることができる。

落語の本懐。

落語家は単なる「笑わせ屋」ではない。
「目的は別にある」。

それが「業の肯定」。
人間のどうしようもなさを肯定することで、
救いをもたらすのが落語だと言います。

伝え方は鍛えられる

人生の重要なシーンで成否をわけることなのに、誰も鍛えていない。もしくは「伝え方は鍛えられる」ことさえも知らない。一方で気づいた方にはとんでもなく大きなチャンスです。

死と太陽は直視できない。

人々は、しばしば過酷な現実や真実を直視しようとしない傾向があります。

死は受け入れがたい絶対的な真実であり、
太陽もまたその強烈なエネルギーや存在感から直視することが難しいものです。

太陽は直視できませんが、夕日は見ることができます。

悔いのない命を。

自分を知るためには他人を知らなくてはいけない。
周囲の人々と自分とを子細に比較省察してみて、
はじめて自分というものがくっきりと浮き出してくる。

自分自身に自分がはっきりとわかってくれば、
めったに、むやみやたらなふるまいはなくなる。
適宜な道が進める。進退そのよろしきを得る。

空間的にいえば、大宇宙を知り、地球を知り、自分を知らなければならない。
このようにしてはじめて、自分というものの空間的立場が、明瞭になってくるのである。

時間的にいえば、過去を知り、現在を知り、未来を知らなければならない。
このようにしてはじめて、自分というものの時間的な立場が、明瞭になってくるのである。

「人間は社交的動物」なり

相手相応の扱い方を知っている人でなくてはならない。

アリストテレスでなくても
「人間は社交的動物」なり、
という真意は誰にでも了解される。

広かるべき世界、楽しかるべきこの世界を、
みずから好んで、狭くし悩ましくしているのが、
世間の大多数の人たちだ。

人を毛嫌いしないことだ。話し相手は選ばないことだ。
お婆さんとでも子供とでも、
なんぞかんぞ話しておれば、この世は賑やかなのだ。

むかしの武士はたしかに、霊主体従であった。

実際、いまの人間は物質と精神との価値を転倒している。
金さえ 与えれば、
どんな精神的屈辱でも忍(しのぶ)
という世の中になってしまった。

そこへいくと、むかしの武士はたしかに、霊主体従であった。

少々の金を 倹約して、
大いなる精神的苦痛を忍んでいる人たちはずいぶん多いが、
実に本末転倒と 言わなければならない。

精神が主で、物質はあくまでも客である
ということがわからない連中が次第に多くなってきた。
むろん物質の厚薄が人の精神方面に影響することも大(だい)であるが、
しかし 人間は、心次第で物質を駆使する機能を与えられているのである。
こうして、はじめて真の人間としての生きがいを感じるのである。

悔いのない命を

自分を知るためには他人を知らなくてはいけない。
周囲の人々と自分とを子細に比較省察してみて、
はじめて自分というものがくっきりと浮き出してくる。

自分自身に自分がはっきりとわかってくれば、
めったに、むやみやたらなふるまいはなくなる。
適宜な道が進める。進退そのよろしきを得る。

空間的にいえば、大宇宙を知り、地球を知り、自分を知らなければならない。
このようにしてはじめて、自分というものの空間的立場が、明瞭になってくるのである。

時間的にいえば、過去を知り、現在を知り、未来を知らなければならない。
このようにしてはじめて、自分というものの時間的な立場が、明瞭になってくるのである。