あなたもいつか、プログラマーを辞めるときがくる。

こんにちは、松井です。

そして、お久しぶりです。

 

先月(3月に)、

僕のいるコミュニティで運営している
大学受験塾で、

卒塾生の会がありました。

 

そこは、

1年間その塾ですごした卒塾生たちが、

スタッフ・講師の方に、

様々なことを自由にきける場となっています。

 

その時にでた質問の話が、

とても考えさせられるものでしたので、

ここで共有します。

 

 

その卒塾生の質問は、

「人生で、志を熱く持ち続けるためには、

 どうしたらいいですか?

 

 いまは、誰よりも熱く燃えたい、熱く生きたい、

 と思っているけれど、

 これから、塾を離れた先で、

 冷めてしまうこともあると思うんです。

 

 〇〇さん(講師の名前)は、

 どのように熱い状態を保っていますか?」

と、いったものでした。

 
 

はじめに断っておきますと、

この質問への答えを、文章にするのは、
かなりむずかしかったので、

今回お話するのは、

この質問への回答のなかででた、

ひとつのエピソードです。

 

 

 

〇〇さんが、塾生時代(約20年前)、

胸に熱く持っていた志は、

「世界一の占い師になる!!!」

ということでした。

(※〇〇さんは、現在、

 講師であるとともに、占い師でもあります。)

 

当時の塾長先生が、

多流派の占いを極めた方で、その方に憧れ、

自分も、占いの道へと進むことを決めたそうです。

 

 

本当であれば、

当時の塾長先生は、〇〇さんに、

占いを教えるつもりはありませんでした。

 

なにせ、大学受験塾ですからね。笑

できれば、勉強に集中してほしかったことでしょう。

 

そこで、

「占い師なんて、ろくな奴いないから、やめとき。」

と、〇〇さんは、とめられてしました。

 

しかし、〇〇さんは、

勝手に、占いを勉強しだし、

何冊も、何十冊も独学で占いの本を読み、

どんどんと突き進んでいってしまいました。

 

しかし、

占い、というものの中には、

人の幸福を願うものばかりではなく、

エンタメ的な、超能力的な、黒魔術的な、

ものも、多く含まれます。

(むしろ、ほとんどが、それです。)

 

そして、

そのような占いの、良し悪しも判断のつかぬまま、

占いを学びまくる、〇〇さんが、

危なっかしく感じた、

当時の塾長先生は、

徐々に、〇〇さんに、

占いの話をしてくれるようになっていきます。

 

そこが、〇〇さんの、

占い師への道のスタートだったそうです。

 

 

そして、当時の塾長先生は、

〇〇さんの師匠となるわけですが、

 

占いを学びはじめた頃に、

〇〇さんに、こう告げたそうです。

 

「あなたもいつか、占いを辞めるときがくる。

 だから、そのつもりで、占いを学びなさい。」

 
 

それから塾長先生から、

占いのこと、

のみならず、

世界情勢や歴史、仏教、古神道、物理など

さまざまなことを、学んできて、いまに至ります。

 
 
 

この話を聞いたとき、

「え、どういうこと??」

と、僕は思いました。

 

しかし、そのあと、

〇〇さんの話は続きましたが、

その言葉の、真意はきけませんでした。

 
 
 

「あなたもいつか、占いを辞めるときがくる。

 だから、そのつもりで、占いを学びなさい。」

 

なぜ、先生は、このようなことを言ったのだろう…?

 
 

この話を聞いて、
今日で、約3週間が経ちましたが、

そのあいだ、

「あの言葉の意味って、どういうことなのかな?」

と、

時折思い出しては、
また、頭のすみにしまっていました。

 

 

そしてある日、僕はとても機嫌が悪い日がありました。

なんか、ムカついていたのです。

 

僕は、現在、フリーランスで
プログラマーをしているのですが、

その日、一緒に開発している後輩に、

とても、冷たく当たってしまっていました。

 

「そんなんだったら、

 さっさと教えてくれたらいいじゃんっ!!」

と。

 

僕が、後輩に、

自分が分からなかったことを
質問してるにも関わらず、

相手の要領がなかなか得なくて、

つい、イラッとした返しをしてしまいました。

 

普通に考えて、

自分がわからないことを
その人に聞いていて、
それについて、答えてくれているのだから、

そこで、腹を立てるのは、お門違い はなはだしいです。

 

しかし、

我ながら、愚かだな、と思いながらも、

つい、そういった気持ちが出てしまっていたのです。

 

その時、また、

あの言葉が、ふと、思い出されました。

 
 

「あなたもいつか、占いを辞めるときがくる。

 だから、そのつもりで、占いを学びなさい。」

 
 

そして、その時、

少し、

この言葉の意味がわかった気がしました。

 

それは…。

 

もし、

いまこの瞬間、

僕から、プログラミング技術 というものが
失われたとして、

 

もし、

いまの自分の役職や、立場が、

何もなくなったとして、

 

その時、僕は、

ただ一人の人間として、

 

・本当に、魅力的な存在であるだろうか?

・本当に、魅力的な生き方をできているのだろうか?

・本当に、清々しく、誇りをもって生きていると、いえるのだろうか?

 

そういうものを問われるのだと、 思いました。

 
 

プログラマーとしてでなく、

ひとりの人間として、

そのふるまい・その生き方は、どうなのだろうか?

 

僕がプログラマーでなくなったとき、

ひとりの人間として、どうなのか? が問われます。

 

 

日々、プログラマーとして
仕事をしていると、

プログラミング技術が高ければ、
人から認められ、

良いシステムをつくれば、
人から評価され、

そして、自分自身、

それに、いい気になることがあります。

 

簡単にいうと、ちょーしにのっちゃいます。

 
 

時には、

自分よりも開発能力が低い人を、
下に見て、

注意するときについ、声を荒げてしまったり、

 

自分より劣った存在として、
見てしまったりすることも、

あります。

 

 

たしかに、

バリバリに、プログラミングコードがかけて、

どんどんと、システムをつくっていく

 

そういった開発能力の高さ
(僕自身が、高い技術をもっているというわけではなく、)

は、

プログラマーとしては、魅力的にみえるでしょう。

 

しかし、それを一歩離れて見た時に、

・自分よりも技術の低い(ように見える)ひとを見下していたり、

・自分の気分が悪いからと、他人に冷たくあたってしまったり、

・自分を頼りに相談してくれているひとに、

「そこは自分の(システムの)仕事の範囲じゃないから!」

と、見捨てるようなことをしていたり、

してる姿があるのだとしたら、

 

それは、

ひとりの人間として、魅力的な生き方なのでしょうか?

 

 

きっと、その答えは、

否、

だと、思いました。

 

 

社会人として生活していると、

さまざまな、肩書、レッテル、評価

は、つきものです。

 

医者、弁護士、会計士、プログラマー、事務、…

年収〇〇万円、社内成績〇位、

再生数〇〇万突破、登録者数〇〇万人、

などなど、

さまざまなレッテルがつきます。

 

そして、そのレッテルによって、

・年収〇〇万円?! あのひとは成功者だ!!

・登録者数〇〇万人! このひとは人気なんだなあ!

・お医者さん、なのだから、きっと立派なひとなのだろう。

と、いったふうに、みてしまいがちです。

 

 

しかし、そういったレッテルを剥がし、

素のままの、そのひとをみたとき、

果たして、どのようにみえるのか? が、

そのひとの本当の魅力度だと、思うのです。

 

ひとりの人間として、尊敬できるのか?

かっこいい生き方をしているのか?

それは、

社会的評価や数値的評価とは、

少し離れたところにあるように思います。

(お金はあっても、性格ねじまがっていたら、

 僕は、そのひとを、尊敬できません。)

 

だからこそ、

僕自身も、いまの役割や立場に

甘んじることなく、

ひとりの人間として、

かっこいい生き方をしていきたいと、思いました。

 

 

「あなたもいつか、占いを辞めるときがくる。

 だから、そのつもりで、占いを学びなさい。」

また、思い出しては、

いまの思いに、立ち返りたいと思います。

 

 

では、今日はこのへんで。

ここまで読んでいただきありがとうございました!