『述べて作らず、信じて古を好む。
窃に我が老彭に比す』

論語より

僕はスーパーエンジニアになりたかった2

こんにちは。

昨日、「僕はスーパーエンジニアになりたかった」という記事を書いて
思い出したことがあったので、今日はその続きを書こうと思います。

 

『圧倒的な実力がほしかった。』

そう思っていた僕ですが、

圧倒的な実力を、実際に身につけていた時期がありました。

それは大学時代。アメリカンフットボール部で主将をやっていた時です。

 

先代の主将から、「次の主将は、お前がやれ」と言われ、

先輩方が築いてきた受け継いできた部を

自分が受け継ぐ。

そうなった日から、特にストイックにトレーニングしたのを覚えています。

 

あれだけすごかった先輩たちでも勝てなかった、果たせなかった目標を

今度はおれらで果たすんだ、と意気込み。

今のままじゃいけない、強くならないといけない。と

とにかく、まずは自分が強くならなくちゃいけない。

そう思って、練習に打ち込んでいました。

 

そうして、春前には、部内で

僕に勝てるひとは誰もいなくなっていました。

それまでライバルだった相手にも圧勝し、

時折、練習に来てくれる先輩も、相手にならない。

 

しかし、

強くなったのはいいものの、僕の心は悲惨でした。

勝てるようになった途端、
今まで尊敬していた先輩を小馬鹿にするようになり、

後輩たちも、ザコ扱い、

とにかく、見下していたと思います。

 

そんなことを思いながら、グランドに立っていたときに、

ふと、我に帰るように思ったのは、

「あれ、自分がやりたいのってこんなことだっけ?」

ということ。

 

尊敬・憧れている先輩たちから、部を任されて、

それに応えたくて、強くなったのに、

いまの自分は、いったいどうなのだろう。。?

先輩たちを馬鹿にして、部の仲間を見下して、

そんな強さに、一体、なんの意味があるのだろうか。。。?

 

少しの間、唖然としました。

 

そして、

全部まちがってたんだな。。。

と気づきました。

 

自分が強いのなら、自己満足のためでなく、

それはチームのために使おう。

 

もっている能力・スキルがあるのなら、
ひとを馬鹿にするのではなく、

ひとつでも多く、後輩たちに伝えていこう。

 

それは、今まで先輩たちが自分にやってきてくれたこと。

いったい、自分ひとりで強くなれたことなんて、どれくらいあったのだろうか。

 

ひとりでは、ひとは強くなれない。

教えてくれたひと、支えてくれたひと、鼓舞してくれたひと、褒めてくれたひと、

めっちゃ怒ってくれたひと、いがみ合ったひと、共に闘ったひと、

本当にさまざまな後押しがあって、今がある。

 

そう思い直したのを、覚えています。

 

 

これは、プログラミングも同じですね。

多くの数学者、科学者、研究者、プログラマーのおかげで、

今の形の、システムがある。

少なくとも、紀元前550年ごろ、ピタゴラスの時代からの

人類の知性の集大成が、プログラミングであり、IT技術。

 

会社単位でも、その会社できて、そこで育まれたシステムがある。

きっと、先輩エンジニアたちが何度も徹夜をして作ってきている。

いまは部長・課長クラスのあの人が、若手の頃に作ったシステムなんてのも

時折、話に聞くことがある。(コードが粗かったので直しておいた笑)

 

技術というのは、多くの時代・多くの人々の手を経て、

いま、ここにある。

 

それらを感じた上で、

敬意と尊敬と畏怖をもって、

いまの目の前のひとのため、そして未来のために

その叡智の一部を、使わせていただく。

 

そういった気持ちで、コードを書かせていただいております。

 

・・・といっておいて、

自分の実力に自惚れることもありますし、調子に乗ることもあります。

ただ、ずれたとしても、この精神に立ち返ってこれるよう

心に刻んでいます。

 

ずれては正し、ずれては正し。 日々、修行ですね。

 

では、今日はこのへんで。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

松井