著書「時間は存在しない」を読んで。

 

著書「時間は存在しない」を読んで、

僕は、ひどく落ち込んだ。

 

なぜなら、

自分が信じていた時間というものへの

ある種の、信頼、を失ったからだ。

 

我ながら変な話だけれども、

本当に、とてもショックで、
どこか、気持ちの整理もつかなくて、

まったく関係のない周りのひとへ、
八つ当たりのようなことをしてしまったほどに、

衝撃的なことだった。

 

うまくは言えないけれども、

もし、

今まで自分を育ててきてくれた父親が、

実は、本当の君のお父さんではないんだよ

と、

今の歳になって、言われたら、

きっと同じような気持ちになるのかもしれない。

 

 

それくらいこの本には、衝撃的な内容が書かれてた。

 

時間は存在しない。

 

それは、

過去・現在・未来

そこには、何の、状態としての差も

存在しない

ということである。

 

タイムマシンは、開発できない。

とかいう話ではなく、

タイムマシンで、移動する対象である、

時間そのものが、

存在しない、と言っているのである。

 

では、

時間が存在しないのであれば、

一体何があるのだろうか?

 

僕らのこの世界を作っているものは、

なんなのだろうか?

 

この本から言わせると、

それは、

順序(出来事)

であるそうな。

 

 

僕らが生きている
この世界というのは、

時間によって、
定まるものではなく、

順序によって、定まるのである。

 

 

少し言い方を変えるのであれば、

モノ自体に、固定された性質というものは、

存在せず、

変化こそが、モノの本質なのである。

 

 

といっても、あまりに言葉足らずなので、

日常的な例で、このことを説明しようと思う。

 

僕は毎日、食堂でご飯を食べる。

 

昼ごはんも、夜ごはんも、

気心知れた仲間たちと、
ワイワイ、食堂のテーブルで、料理をかこみ、

その日ごとの話題で盛り上がり、

ご飯を食べる。

 

僕は、そんな食堂で、
みんなでご飯を食べるのが、

それこそ、時間を忘れるほどに、好きだ。

(皮肉なことに、そもそも、
 その時間自体は存在しないのだけれども。)

 

では、その食堂を、食堂たらしめるものは何なのか。
(この問いに、僕らの世界の本質が隠れている)

今回考えたいのは、その部分である。

 

まず、その場所。

その、場所自体、が、食堂なのだろうか?

 

いや、きっとちがう。

もし、その場所に、僕らがいなかったら、

そこは、食堂とは呼べないだろう。

 

誰もいない、ガラリとした空間。

 

そこは、

20畳程度の床に、白いタイルが張られ、

8人がけのテーブルが、4つ並んでいるだけの

ただの、空間にすぎない。

 

そんなガラリとした空間に、

もし仮に、

食堂と書かれた
看板があったとしても、

そこを、(本当の意味で、)
食堂だと感じられるひとは、少ないのではないだろうか。

 

 

食堂という空間は、

その場自体に、存在するのではなく、

 

その空間に、

ひとが出入りして、

テーブルを囲み、

食事をすることで、

そこは、食堂になる、のである。

 

ひとが使うことで、

その空間は、食堂に成る(変化する)のである。

 

 

もうひとつ、例をあげよう。

 

目の前に 3億円をもっている男がいる。

この人はお金持ちだろうか?

 

さきほど、

モノの本質とは、変化にある、

といった。

言い換えると、

順序や、そのモノのまわりで起こる
出来事(ストーリー)、

それ自体が、そのモノの性質(価値)を決める、

という話をしてきた。

 

3億円の男に話を戻す。

 

例えば、

宝くじで3億円が当たったとしたら、
それはお金持ちだろうか?

 

ビジネスで成功して3億円を稼いだとしたら、
それはお金持ちだろうか?

 

銀行に勤めている職員が、
業務中に、金庫へ、
3億円分の札束を運んでいるのだとしたら、

それはお金持ちだろうか?

 

さまざまなひとに頭を下げ、
多額の借金を抱え、その3億円をかき集めたとしたら、

それはお金持ちだろうか?

 

 

ここで伝えたいのは、

 

モノゴトの性質(価値)とは、

特定の地点の、状態では、正しく判断はできず、

その、前後のストーリーによって、決まる。

 

ということである。

 

 

それが一体どういうことを意味するのか?

に関しては、また次の機会に詳しく話そうと思う。

(そもそも、僕もまだ、うまく整理できていないし、
 ショックから立ち直る必要もある。)

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた。