明日はマンガの発売日。kindleのマーケティング

はあ!待ち遠しい!!

明日、葬送のフリーレン 6巻

と、メジャーセカンド 24巻

明後日、キングダム 63巻

ぐぐく…、早く読みたくて、たまらんのです。

Kindleだと、こんなふうに購入履歴から、
近日発売の書籍を通知してくれるので、マジ感謝です。

このおかげで、新巻がでた瞬間、即買いができます。

これは、Amazonさんの「マーケティング」にうまいこと乗せられちゃってますね、僕。笑

 

あ、こんにちは。ひでです。

僕が自分でビジネスをやっていると、常々思うのですが、

ビジネスっていうのは

「作為の塊」

です。マジで。

お客さんにたくさん商品を買ってもらえるように、

広告を出したり、

イベントを企画したり、

お客さんが興味をもちそうなものをリストにして、目の前に出しみたり、

たりたり、する。

さきほどのKindleなんて、まさにソレですよね。

僕(お客さん)が好きな漫画や書籍の、新巻がでたら、
わざわざスマホに通知までして、教えてくれるんですから。

少しでも、売上を伸ばすために。

そうなんですよ。

ビジネスって、売上を伸ばすために、

あれやこれやと様々な手を使って…、

お客さんに商品を買ってもらえるようにする…、

「すべてはお金のために」

……、なんて。

そういう見方も、できます。

というか、自分でビジネスをする前までは、そんな印象でした。

なんかいきなりビジネスの話になりましたけど、

僕、ビジネスってどこか、

ずる賢いとか、
お金にがめついとか、

けっこう、ネガティブな印象をもってたんですよね。

だって、なんか親切な顔して、セールスしてくれるけど、それってどうせ自社の売上、収益のためでしょ?とか、思ってましたから。

どこか冷めた目で、セールスやビジネスを見てました。

でも、僕も1年前くらいに会社を辞めて、
フリーランスになってからは、その感覚も変わってきました。

以前と比べて、
経営者やフリーランス、個人事業主のひとなど、
自分でビジネスをするひととの関わりが増えたからなんでしょうか。

彼らと話していてよく思うのは、

ビジネスをするひとって、

「お客さんのこと、すげーー考えてくれてるんだな」

ってことです。

だって、Kindleでいえば、

お客さんが興味あるかもしれない本を
何万、何千万冊もある本の中から、
わざわざピックアップして、届けてくれてるんですよ?

冷静に考えたら、凄すぎません?

とはいえ、

でもそんなのAmazonのシステムが自動で
やってくれてるから、
そんなに手間暇かからないんじゃないの?

と、思われるかもしれませんけども。

でも、

そのシステムも、Amazonが
お客さんのために、開発したものなんですよね。

お客さんが少しでも気にいってくれて、
手にとってくれる商品を、一生懸命選定して届けてくれてるんです。

まあ、とはいっても、

なんか、その「作為的な善意」が気に食わないんだよね。

と、過去の僕は思ってましたけど。←

でも、最近では、

「作為的でええやん」

って思います。

というのも、

「作為」っていうと、

「作られた気持ち」とか、
「ホントの気持ちじゃない」とか、

そんな風に思ってたんですけど、全然ちがうことに気づけたんですよ。

なんて言葉にしたらいいのかな。

イメージ的には、

久しぶりに会う友だちに、

「どんなお土産を買ってったら喜ぶかなあー」

悩んでるとき、

って感じです。

まあ、まさに今日の僕なんですけど。笑

今週末、久しぶりに広島に住んでる友だちに会いに行くので、

「お土産でも買って、もっていってあげよっ」

って楽しく選んでいたんですよ。

でやっぱ、わざわざお土産を買うのなら、
せっかくだし、喜んでもらえるものを買いたいじゃないですか。

となったら、

どんなものあげたら喜ぶかなー

とか、考えるわけです。

ひとり暮らしだしなー、オトコだし、別にお菓子買っててもしゃーないよなー、あとどこでも買えるもの持っててってもなんか面白くないし、じゃあ名古屋のものかなー、何がええかなー。

って、わくわくもんもんとしながら、考えるんですよ。

これって

め ち ゃ く ち ゃ 「作為的」ですけど、

悪い気しなくないですか?

ビジネスの「作為」もこんな感じなんですよ。

自分らが作ったサービスが、
どうやったらお客さんにちゃんと届くのか、

どうやったらお客さんに喜んでもらえるのか、

どうやったらお客さんの悩みを解決できるのか。

こんなことを、経営者のひとはめちゃくちゃ考えてます。

飲み会の最中も、ずっとその話ししてますから。笑
しかも、みんな。笑

あと、

ビジネスやってるひとなら分かると思いますけど、

「お客さんに価値を届ける」って、

すげーーいろんなこと、準備しないと、できません。

これは、飲食店だと分かりやすいですね。

お客さんに、
ホカホカの「カレーうどん」をスムーズに提供するためには、

お客さんが来てから、
麺を練っていては間に合いませんよね。

前日から食材の買い出しと、麺とカレーの下準備をしておき、

朝早くに起き、麺を練って、
開店までに間に合うようにカレーうどんの用意しておく。

そして、

店内のテーブルや床もキレイに掃除して、
お客さんが美味しく料理を食べられる環境をつくる。

こんな風に、お店が用意してくれてるから、

僕らがそのお店に行って、

いくらかのお金を払うだけで、

美味しいカレーうどんをいただけるんです。

これって、すげーーありがたいことなんですよ。

「それがそのひとたちの仕事でしょ、」って思うのも1つですが、

「いつもありがとう」って思うのも1つです。

現代の日本は、モノもサービスも過剰なくらい溢れてますからね。

溢れてしまってるがゆえに、
当たり前のありがたみが薄れてしまってるように思います。

僕も気を抜くと、
感謝の気持ちを忘れちゃってますもん。

でも、思い出したときは、そっと、
「いただきます。」「ご馳走さま。」を言うんです。

(そして、記事にしておいて、また思い出せるように、
感謝の気持ちを保存してるんです。)

そんな風に小さなことに感謝してみて気づいたんですけど、

ひとからの優しさや温かみ、価値や感謝っていうのは、

満ち足りてるから、感じられるのではなくて、
「自分が気づいたから、見いだせるもの」なんだな、

って。

現代の日本は、モノもサービスも過剰なくらい溢れてますから。

本来なら、感謝しても感謝しても、
しきれないくらい感謝してもいいはずなんです。

別に、飲食店にいったときでなくてもいいので。

普段の生活のなかでも、
どんな「作為」があるのかアンテナをはって
探してみると、たくさん見つかりますよ。

街を歩いてるとき、通勤中の電車のなか、
会社の中にだって、さまざまな「作為」で溢れてますから。

それらを「仕事だから」ってそっけなくするのもよいですけど、

「これにはどんな「作為」があるのかな?」

って考えてみると、世界の見え方が変わります。(大げさではなく、マジで。)

と、Kindleで明日発売のマンガが待ち遠しさからの気づきのブログでした。

では、また。