福沢諭吉から学ぶビジネス。学問のすゝめが売ったモノ

こんばんは!ひでです。

今回は

「福沢諭吉から学ぶ集客教育販売。なぜ学問のすゝめは書かれたのか?」

という話をしていきます。

 

ところで、
「学問のすゝめ」っていう本はご存知でしょうか?

今回はこの本の知られざる裏側の話です。

「天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らず」
でおなじみのこの本ですが、

実は、あるモノを売るために書かれました。

 

それはずばり、

「慶應義塾大学」

です。

 

福沢諭吉は自分が創立した
慶応義塾大学を売るために学問のすゝめを書かれました。

まず、なぜこの話をしようと思ったかというと、
ビジネスの流れにおける
「教育」の重要性って分かりにくいよなーって

思ったからです。

というのも、

ビジネスの流れ、
集客→教育→販売の一部である

「教育」。

 

この3つの中で
もっとも大事なのは「教育」なんですけど、
1番大事さがピンとこないのも、
教育だと常々、僕は思います。

だいたい、ひとにビジネス教えるときも、
ん?って顔されます。

僕自身、ちゃんと理解するのに、
かなり時間がかかりましたし。

なので、その教育の具体例として、
今回の「学問のすゝめ」の話をしようと思いました。

 

 

何を隠そう、

学問のすゝめは、
慶應義塾大学の販売の「教育」のために書かれました。

 

今回の話は、
教育の大切さが伝わるきっかけになれば、
いいな、と思って書いていきます。



『学問のすゝめで、国民を教育し、
慶應義塾大学を売りまくった男の物語。』



ところで、
あなたは学問のすゝめがどんな内容の本なのか
ご存知でしょうか?

まあタイトルのまんまなんですけど、

この本に書かれた
福沢諭吉からのメッセージはたった1つ。

「勉強しろ」

これのみ、です。

 

当時、慶應義塾大学を創立しようとしていた
福沢諭吉は、

慶應義塾大学への入学志望者を増やすために
学問のすゝめを書き、
勉強することの重要性を国民へ説きました。

 

ここで、なぜ勉強の重要性を説いたのかは、
幕末後の明治時代初期であることが関係しています。
なので、ちょっとその頃の時代背景的な部分を話しますね。

明治というと
200年にも続く江戸幕府の時代が終わり、
開国、文明開化と、
大きな時代の転換期。

そんな転換期のなかで、ひときわ大きな変化。
それは、身分制度の改正でした。

江戸時代までは、
士農工商の身分で職が決まっていたけれど、

 

文明開化が起こり、
明治時代からは、日本国民の身分は平等となりました。

しかし、身分の平等。

聞こえはよいかもしれないが、
当時のひとにとっては、混乱でしかなかった。

「武家に生まれたら、一生安泰だと思ってたのに、
いきなり平等とかいわれても困るよー!
おれのこの先の安定はどうなっちゃうの??!」

「いままでとりあえず農業だけしていればよかったのに、
いきなり平等とか言われても、
どーしたらいいかわからないよ!!!」

みんな大混乱。

 

それもそのはずで、
明治以前までは、士農工商で職が決まった。

武家に生まれたら、武家。
農家に生まれたら、農家、として、
一生を過ごした。

 

ひとつの職についてさえいれば、
何も考えなくても、
一生安泰な時代は終わったことに、

「おれたちはいったいどーしたらいいんだーー!!」

と、国民たちは困惑していました。

 

そしてそこへ、
明治のこれからの時代に
ひとびとがすべきことを福沢諭吉が示します。

 

「  学べ。 」



明治を生きる術として書かれた
学問のすゝめは、死ぬほど売れました。

 

明治5年に発売されて、累計340万部売れ
ベストセラー。

340万って数字だけでもすごいですが、
当時の日本の人口は、3000万人。

現代の日本人口の3分の1から、4分の1ほどなので、
もし現代で同じだけ売れたら、約1000万部ほど売れたことになります。

鬼滅の刃の1巻の売上が、累計700万部ほどなこととと比べると、
この「学問のすゝめ」の売れ具合の異常さが分かります。

 

やべえ、売れ具合です。

 

そして、そのやべえほど売れた学問のすゝめで説かれていたのは、
学ぶことの重要性。



「実学、役に立つ知識をつけなさい。」

「モノゴトの良し悪しを判断するには、
知識が必要だ。知識がないからダマされる。」

 

そして、あの言葉も、そのひとつです。

「天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らず」

これは、身分の平等を説いた言葉ですが、

以下のように続きます。

 

「しかし、いまの世の中を見てみると、

 賢いもの、愚かなもの、
身分の高いものと、低いもの、
貧しいもの、裕福なものがいるのは明白だ。

 では、なぜこのような差が生まれるのだろう?

 それは、ひとえに学問の差である。
ひとは生まれた時は平等である。
学問をして、物事を知る人は偉く、お金持ちになる。

 無学の者は、卑しくて、貧乏になる。
人間はもともと平等だが、
学問を勉強するかしないかで人生が変わる。勉強しろお!」

こんな風に何度も何度も、
様々な角度から学びの重要性を説いています。

 

ここで福沢諭吉が言いたかったのは、

江戸時代までの、
士農工商でが決まった時代は終わった。

明治のこれからは、
勉強したひとが出世し、収入も増えて、
勉強しなかったものは、路頭に迷うことになるよ。

ということ。

 

ひとは、身分としては平等に扱われるけど、
学問の前では不平等に扱われるよ。

ってこと。

 

これはぶっちゃけ現代でも同じことが言えると、
僕は思います。少し悔しいですが。

話は戻って。

 

この福沢諭吉がやった一連の流れを
ビジネス的にみてみると……、

 

もともと知識をつけることに
興味のなかった見込み客(国民)へ、

「学問のすゝめ」というコンテンツを通し、
学ぶことの大切さを説き、

 

その結果、大学で学問を志すひとを増やし、
商品(慶應義塾大学)が売れた。

っていうこと。

 

めっちゃきれいに、
集客→教育→販売の流れになってません?

もっとシンプルにいうと、

学びについての重要性を伝えることで、
学びの場である、大学が売れた

ということです。

 

ここで重要なのは、

ひとは、
学びの重要性を知らなければ
学びたいとは思わない、

学びの大切さが理解できないなら、
学ぶために大学に行きたいなんて思わない。

ということです。

 

重要性を理解できないから、
価値も感じないし、ほしいとも思わない。

 

当然ですね。



ちなみに、
これは「学び」に限ったことではなく、
恋愛系の情報発信、英語会話の発信などでも同じです。

「〇〇すれば、簡単に彼女できるよ!」

と言われても、
彼女を作ることのメリットや必要性が分からない人に
恋愛系のコンテンツを売ることはできないでしょうし、

 

「1か月で英語簡単マスター!」

とか言われても、
英語を話せることで、
なんの得があるのか分からなければ、
わざわざ英語を毎日学んでまで、学びたくありません。

 

大切さを顧客は理解していないからです。

福沢諭吉は、学問をすることの大切さを説くため
何度も何度も学べーー、学べーーと言ってます。

 

学べば、出世できる。
学べば、稼げる。
学べは、人に騙されなくてすむ。

 

そんな学んだ先の未来に憧れ、
明治のひとびとは、学びを求めました。

学びの価値を理解したから、
学びがほしくなったのです。

その教育の成果あって、
当時、慶應義塾大学への入学志願者が殺到したそうです。

 



以上。

 

『学問のすゝめで、国民を教育し、
慶應義塾大学を売りまくった男の物語。』

でした。

 

さすがは、一万円札になる男はちがう。

では、今日はこのへんで^^

 

 

P.S.

もちろんですが、
学問のすゝめは慶応義塾大学を売るためだけに
書かれた本ではありません。